北 海 道 旅 行 記

                著者  戸 川 万 吉

  北海道へ行く前は、旅を終えたらすぐこの旅行記を書こうと思っていたが、いざ帰ってみると、いろいろと用事が出来たりして書けなかった。そこで今、やっとこの旅行記を書く気持ちになった。


  しかし、いざペンを取ってみると、何から書いてよいのやらおれっち(おれっち=自分の事、この文中では自分の事を『おれっち』と呼ばしてもらう事にする)には、さっぱりわからない。ましておれっちがこんな大それた旅行記を書こうという事がまちがっている。中学、高校時代は、文なんて最もニガ手の物だった。もし作文の授業があったなら、成績表は自信を持って1といえるだろう。

  *京都駅に可愛い見送り人

  北海道へ出発した日は昭和四十六年(一九七一年)七月十二日である。旅行の用意をしたのは出発前日の十一日であった。えらく忙しかった。昼は倉田と買い物に走り、汗だくに疲れ、荷物の整理をしたのが夜も遅くになってしまったから……。
  倉田というのは、北海道へ一緒に行ったヤツで、初めて会ったのは高校の時である。倉田はブラスバンドのクラブに入部していておれっちも後からそのクラブに入部した。
 あいつとはクラブの中では一番仲が良かったので北海道の旅行は二年前の秋に決めた事だった。クラブではアイツはトランペットを吹いており、おれっちがトロンボーンで同じ金管楽器だから仲が良かったのかもしれない。アイツにペットを吹かせば、京都の高校の中では一番うまかったような気がする。
 さて、話をもどして十二日の朝七時三十分、河原町丸太町で倉田と待ち合わせてあった。約束の時間を三分オーバーした時、西の方からタクシーでやって来よった。おれっちもそのタクシーに乗って京都駅に行くが、おれっちのリュックサックは非常に重く、少し動くのにもヒーハー、ヒーハーと呼吸がみだれる思いである。おれっちが木刀を持っていたので倉田は驚ろきよった。倉田が「木刀なんか何するね、じゃまになるだけやんけ」、というから、おれっちは「これで北海道の熊と戦うんじゃ」と言い返す。実際あの時は本気で熊と戦うつもりでいた。あの木刀には、戸川万吉と彫ってあるから、恐いものなしである。
 車は京都駅に着く。おれっちは「つり銭はいらんわ」と言って駅構内へ行くが、見送り人が来ていなかった。八時頃来るといっていたが五分程遅れて来よった。ソイツはアメリカのカリフォルニアから来たリンダという可愛いらしい女の子で去年の秋、京都に来よったとき、知り合ったヤツである。今はもう日本には居ないらしい。淋しい限りじゃ。もう一人は、十分程遅れてやって来よった。『ヘルメット』という少し太った男である。この男は、運動神経がニブイのか動きがスローで牛に似ている。又、ヘルメットというのは、髪がヘルメットのように頭を抱んでいるのでヘルメットという呼びかたになった。さて、おれっち達が北海道へ行く前の記念撮影である。おれっちとリンダ、そして倉田の三人でヘルメットは残念ながら写し役である。
 八時三十分前、改札口からプラットホームに入る。東海道線、1番ホームである。この出発前の列車待ち、心がウキウキしてくるし又旅の中で一番楽しい時でもある。いろいろと話しをしているうちに列車がホームに入って来る。おれっちは込んでいるだろうと予想していたが、その通り込んでいた。というのは、この列車は西鹿児島発、東京行き急行列車「高千穂・桜島」で京都は八時三十分発である。おれっちも去年、九州を旅行して京都に帰るとき、この列車に乗ったのでござる。その時の列車の込みようといったらすごかった。おれっちは別府からの十二時間、座ったままでトイレにもいけへんかった。それ以来、一人旅の時は列車が満員の時は座席には坐わらないようにしている。
 今度の北海道の旅は二人旅なので相手の事も考えなければならない。たまたま席が二つあいていたのでそこに坐わる。
 おれっち達が列車に乗り込む前にリンダが一通の封筒をくれた。中身は千円の札一枚と
一枚の紙に書かれた英語であった。英語はおれっちはニガ手なので倉田にまかす事にした。なにしろアイツは英会話が得意じゃけんのう……。
 午前八時三十八分、列車は京都駅を発車した。見送りのリンダとヘルメットに手を振る。
「リンダ、北海道から帰って来たら“スシ”食いに行こうや」
とおれっちはバカでかい声で走っている列車から叫んだ。
「ハアーイ」と笑顔でリンダは応答してくれた。
隣の席には九州から来たという中年の行儀の悪いおっさんが坐わっとる。通路をはさんで向こうの席には、おれっち達と一緒でリュックを持つカニ族が、二人言葉をかわしている。北海道へ行くらしい。
 京都を出て五分くらいもたったであろうか。おれっちは一瞬「しまった」と思った。
 忘れ物に気がついたのである。あの大事な戸川万吉の木刀じゃ。しかし、どうする事も出来ず困った。あとは運を天にまかすだけで、見送りのリンダとヘルメットが見つけてくれる事を祈った。
 旅をする前から忘れ物をしていては、後先どうなるかと心配である。特におれっちは一度忘れ物をすると後々よく忘れ物をする性格で、二年前にも、日光へ行った時、まずガイドブックを忘れたかと思うと白黒とカラーフィルムをまちがい、あげくの果てにはカメラまで置き忘れてしまった。ニコンの高いカメラだったのに………。もったいなかった。


  *デッキの女

 昼過ぎ列車は浜松に着いた。車内の客は駅弁を買っている者、飲み物や菓子などいろいろと買っている者がいる。駅弁で思い出したが、おれっち達もヘルメットが京都駅で買ってくれた駅弁を食う事にした。
 普段飯の嫌いなおれっちは駅弁など絶対買わない、がヘルメットが無い金をはたいて買ってくれたので、感謝していただく事にした。
 十六時八分、列車は大都会、東京駅に着いた。
「おい倉田、おまえ京都からここまで来るまでパチンコ屋見たけ?」とおれっちが言う。
「いや見てない。梅原もけ」。
「おー。プロフェッショナルのおれっちが旅に出ているので、パチンコ屋は、こらかなわんわ、と姿を消すんやろか」と真面目な顔でいうと、倉田はフフフ…と笑っていやがった。
 東京駅から山手線で上野まで行く。上野駅には十七時前に着いた。
 青森行き上野発十九時の急行列車「八甲田」の発車まであと二時間少々あるが、何もする事がなく、しかたなしに青森行きのホームで待つ事にした。
 おれっち達と同じカニ族が少し離れたところにいるのを見ると
「倉田、アイツらあんな所で坐わって何しとるんや。アイツらも北海道へ行くんやろ、こっち来たらええのに」と不思議そうに聞く。
「さあ知らんけど」と倉田も不思議そうに言う。
 そんな会話をかわしながら、おれっち達はリュックのひもをほどき、ラジオを出し地図を広げ、新聞を敷いてそこに寝る。ガイドブックを見ながらリンゴを食い計画を立てる事にした。
 その場所は列車の降乗口のすぐ近くなので客のじゃまにはなるが、おれっち達はそんな事知らんふりで黙々と計画作りである。
 しかし、夕方なのでホームは通勤客でいっぱいになる。通勤客が列車から降りてくると、おれっち達の前、横、後ろをドタバタドタバタと通って行くのでなんか落ちつかない。倉田は神経がず太いのか、目をつむってラジオを聞いたままである。駅員がこっちの方へ来る。おれっちに何か言いたそうであったが、おれっちは駅員をにらみかえしてやったので顔をそむけて通り過ぎてしまった。
 十九時発の青森行が近づいてきたので、その列車に乗る者の整列をしに駅員がやって来た。なんと、おれっち達を無視して、おれっち達から離れて坐っていたカニ族の方を整列さしやがった。おかげで、おれっち達は一番ドンビリに並ぶ事になってしまった。
 しかし、列車がホームに着くと、横入りをしてやった。
 おかげで席はとれた。しかし、この列車は満員じゃ。前の席には、中年のオバさんと子供である。これではムードも出そうにない。
 倉田は又、ラジオを聞いゆがる。
「なあ倉田、このまま北海道まで行くんやったらしらけるなぁ」とおれっちが言うと、
「ほんまやで、どっかにええ女おらんのけ」と小さな声でいいよった。
 そんな事をいっているうちに列車は発車してしまいよった。
 おれっちはおかきをぼりぼり食いながら野球放送を聞いている。
 宇都宮を過ぎたのが二十時半頃で空も暗くなっている。福島駅に着いたのが二十一時六分、おれっちは福島を出ると座席から立ちデッキに出てみる。
 風も冷たかったので、イイ気持ちである。乗客の半数くらいは寝ていた。
 おれっちはデッキからさらに表へ出、デッキの乗降の際、足を踏む所に腰を落とし、その下に出ている鉄のワクの所へ足をかける。
 ドアは完全にしまってしまった。今おれっちは列車外に乗っているのである。車掌が見廻りに来ても内からはおれっちの姿は見えないので怒られる心配はない。しかしデッキにいた客がドアの外にいるおれっちを見に来たらしい。その時、駅が近づいて来たのでこらあかんと思い、うしろの車両に渡り、そこのドアから入っていった。
 おれっちを見に来たデッキの客はドアを開けた時、ちょうどおれっちは、一両、うしろの列車に乗っていたので、その客はおれっちがいないのでびっくりしたらしい。その時、うしろからもどってきたおれっちを見て、またびっくりである。あの時の客の顔といったらおもしろかった。あれこそ、ほんまにキツネにつままれた表情だと思う。
まだ驚いたような顔をしている女はオレに話しかけて来よった。
「あなた大丈夫なの、列車から落ちたんじゃなかったの?」
「エッ! オレがか?」
「わたし、びっくりしたわ、あなたドアを閉めたまま、なかなか入って来なかったでしょ、わたし、てっきり列車からふり落とされたと思ったの」
「どうしてあんな所へ坐わるの?」
「うん、おれ小さい頃から好きなんや、あんな所に坐わるのが」
「ふーん、それで何か考えるの、あんな所に坐わって」
「うん、あこに坐わるのは夜やないとアカンね、夜遠くの方見るんや、そしたら列車に乗っている事も忘れ、いろいろ過去の事を思いだすんや、それにロマンチックになれるんじゃ、何んとなく、だから昼ではアカンわけや」
「わたしもあなたみたいな事やってみたいなあ、でもそんな所にはとても恐くて坐わる事が出来ないわ、せめてここにいるのが限度ね」
 と、その女はやわらかい口調でしゃべってくれた。
 次の駅、仙台までの三十分間、いろんな事を話し合った。その人は仙台の駅で降りてしまいよった。
 別れる時の「じゃあ元気で、さようなら」の言葉に胸がジーンとなった。
 別れたあとは少しあの人に心残りがしたけど、洗面場に荷物を置いた四十歳くらいのおっさんがおれっちに話しかけてきて、女の人の事も忘れてしまった。
 そのおっさんは八戸まで行くらしく関西の旅行からの帰りだと言っていた。そのおっさんとは気が合い、仙台から八戸までの五時間、いろんな事をしゃべっていた。小学生の頃、戦争時代の頃、会社の話しなど、いろんな事を聞いた。おかげで退屈もせずにすんだ。
 しかし眠たかった。外を見ればすでに夜は明けていた。

  *ついに来たぜ、北の大地へ

 青森も近づくにつれ、さすがに北の方へ来た感じがする。
「青森から青函連絡船に乗る人は、この列車からは二百五十人くらいしか乗船できませんので、前もってお知らせしておきます」と列車内に放送があった。
その放送を聞いてかカニ族がガヤガヤと列車の前の方へ移動していく(おれっち達は列車のうしろの方の車両に座っていた)ので通路は満員で動きもとれない状態だ。
 列車が青森に着くと、さぁたいへんでじゃ。列車から降りたカニ族がわれ先に走り出すのである。まるで全学連が機動隊に追いかけられた時に逃げる姿のように、それはもうたいへんなものであった。おれっち達も船に乗れなくなったら計画がくるってしまうので、みんなに、負けてられなく走る事にした。
「おい倉田、早よ降りよ、船に乗れなくなってしまうど」
「オーちょっと待ってくれや」
そして二人は列車から降りてホームを走る。おれっち達カニ族が列車から降りるやいなや一目散に走り出したので、ホームにいる客や、他の列車に乗っている客は、これは何事かと不思義そうに、あるいは笑いながら見ている。
 連絡船のりばに着いた時にはもう三百人程並んでいた。一瞬、こら乗れんかも知れんどと思った。三十分程して連絡船の改札が始まる。と同時におれっちと倉田は前の方へスルスルと出ていく(十八番の割込みというやっちゃ)。おかげでギリギリ乗れる事ができた。
 船は八千トンで割合大きく、揺れも少ない。青森を出て行く時に、「蛍の光」のひかりの曲が流れる。おれっち達は船室に荷物を置いてデッキに出てみた。天気は快晴である。
 青い空の下で青森港をバックにおれっちは歌を唄う。実に気分がよろしい。ケッケッケッ。
一時間程たって船室にもどる。船室といっても一つの畳(十畳ぐらい)に十人から二十人くらい坐わる。船室では五歳くらいの子供が一人であばれまわっている。そこで東京から来よったカニ族の二人連れと友達になる。そして四人で子供一人を相手にして暇をつぶしてやった。
 十一時二十五分、船は函館港に着く。北海道の玄関、函館の土を踏んだ時、まず思った事は、非常に涼しい事であった。
「おい倉田、ものすごく涼しいね」とおれっちは目を丸くして言う。
「ほんま、まるで冷房のきいた部屋に太陽の光りがさし込んでるみたいやんけ」
と倉田はうまいこと言うが、まことにその通りじゃ。
 太陽の光りが当たっている所へ出ると、暖かいが、風が吹けば涼しくなり、又陰に入れば非常に涼しくなる。空気がカラッとしているせいであろう。
 おれっち達は重い荷物を駅前に一時預ける事にして函館市内を見学する。おれっちはパチンコ屋を見れば行きたくなかっても足が勝手にパチンコ屋に向いてしまうから困ったもんじゃ。
「オッ! 倉田、パチンコ屋があるで、入ろか」とニコニコしながらいう。
いざ入ってみると客は少なく、勝つ雰囲気はなかった。結局は三百円負けてしまった。
 パチンコ屋を出るとおれっち達は函館山に登った。さすが景色はバツグンに良く街の両端は海にかこまれており、街の向こう側は山の壁でおおわれ、その山の右側には昭和新山が見える。街は長崎の街によく似ている。ここで記念写真を撮ろうとした時に三十五歳位のおっさんが写真を撮ってくれというので撮ってやった。そのおっさんは北海道は全部廻わって来て最後に函館に来たと云う。
 昼飯を食ってから函館山ともといならじゃ。バスで函館駅までもどるが、この函館山からの下る時がエゲツナかった。あの道路といったら、そらぁすごいで、バスはボロボロ、道はデコボコだらけの穴だらけである。
 どうやら無事に着いたらしく、一時預りの荷物を取りに行き、トラピスト女子修道院へ行った、ここは観光地にされてしまってダメじゃ。おれっち達は歩いて行くのだが、その横を車、観光バスがひっきりなしに通るので恐ろしい。
向こうへ行ってもただ建物だけを見るので行くだけ時間のムダであった。
「倉田どうしようこれから?」とおれっちが言うと
「そやなぁ、ここにいてもしゃぁないし、いっそのことユースホステルへ行こか?」
「よっしゃそうしょ、まだ時間があるし歩いて行くか?」
と二人は歩いて行くのであります。三十分位で着くかな? と思っていたが、なんのなんの、一時間三十分程かかりよった。
「フーッやっと着いたナ」とY・H(ユースホステルの略名)の前にリュックを置いて倉田はタメ息をついている。北海道の第一泊目は北星荘Y・Hである。
 部屋は八人部屋の和室である。おれっち達は部屋に荷物を置き風呂へ行くが、ここの風呂は小さく、三、四人で満員になってしまう。京都を出て二日目の風呂、ええ湯やった。
 午後六時キッカリに飯を食いに、いざ食堂に入ってみるとこれがなんと女ばっかりである。女も女、女だらけじゃ。ざっと見渡しただけでも五十人はいよる。男は倉田とおれっちだけでありんす。
 おれっちは一瞬うれしいような、はずかしいような、カッコ悪い思いもしたが、
「倉田、奥の方へ行こうや、すいてるさかい」と指をさして倉田に言う。
「そやけどカッコ悪いね、出直そか」と倉田は赤味がかった顔で言う。
「アホか、一度来たら引き下がれるかい男やろ、女なんかに押されてみい、この戸川万吉様の名はどうなるんじゃ」
奥にちょうどイスが二つ空いているので坐るが、その向かい側にいる女の子がべっぴんじゃった。
「どっから来やはったん」とおれっちが急にしゃべるから相手はびっくりしたように
「エッ! アッ…うちら、大阪から、あんたらは…」
「おれらは京都から」と話しははずむが、硬派のおれっちはもう一つ乗る気がなかった。
飯を食って部屋に帰る。ミーティングがないので八時頃集会室(食堂)へ行って京都の友に絵ハガキを書く事にした。
 集会室にはあちゃら人(外人)が三人いて何やら会話中である。それを倉田は見て十八番の英語を使って仲間入りをしやがった。さあ、横にいるおれっちはたいへんじゃ。話しを聞いてもチンプンカンプンのトンチンカン、だまって坐わっているのもアホらしく散歩に出かける。
 Y・Hから十分くらいの所にパチンコ屋があるので入る事にした。結果はタバコを四個取っただけで、しらけてパチンコ屋から出てくる。しかし神はおれっちを見捨てなかった。食堂でおれっちの前にいた大阪の女の子二人が向こうからやってきよるではないか。
「やあ、また会うたね、どこ行くんじゃ」と声をかけると
「あー、あんた京都の人やったね、もう一人の人は」
「Y・Hで外人三人と話しをしとるわ、おもろないから出て来たんじゃ」
「うちらもおもしろないし出て来たんえ」
「ほなどこか行こか」と言って喫茶店へ行く。
 一時間程、身の上話し、世間話しをしてY・Hに帰る。なんとまぁ、倉田はまだ、あちゃら人と話しているではないか。おれっちは先に部屋に帰って寝る事にした。

  *北海道の人は親切や

 明朝七時、Y・Hを出発、函館駅発七時三十分「すずらん1号」にかろうじて間に合った。列車の中は案外空いていたが、デッキの好きなおれっち達はデッキに荷物を置く。途中、大沼駅からぎょうさんのカニ族が乗ってきた。その中に、昨日、青函連絡船の中で会った東京の二人連れがいよった。
「ようにいちゃん、又あったな」とおれっちが大声で言う。
「なんだい、おまえたちかい、びっくりするじゃないか、おまえ達どこへ行くんだい」
「洞爺まで」
「じゃぁ、おれ達と一緒だな」と言って車内へ入って行きさらしよった。
列車は洞爺に着き。ほとんどのカニ族はここの駅で降りる。駅から洞爺湖畔行きのバスに乗る。見晴し台を通過した時は洞爺湖はきれいに見えた。気をつけて羊蹄山を探したが見えなかった。
 羊蹄山麓は馬鈴薯、ビートなど地下栽培作物に適した土質で現在はアスパラの筆頭産地でもある。バスは洞爺湖畔に着くが、湖の側に行ってみれば案外つまらないものじゃ。
これはどの湖にもいえる事と思う。しかし日没の頃アベックで歩くのはロマンチックがあって良いものだけど……。
 洞爺湖は周囲四十五km、面積七十平方キロメートル、深さ百七十九メートルあって、湖畔には旅館が多くキャンプ場、ゴルフ場、バンガローの設備などいろいろある。
ここで名古屋から来たというサイクリングで北海道一周をしている人と会う。
おれっち達は湖のそばにあるソバ屋で百円のソバを食い昭和新山へ向かった。
 この山は地熱を持っていて登っていくと地熱のため靴をはいていても足の裏が熱くなってきよる。五分とじっとしていられないのじゃ。昭和新山は頂上までは登れないが中腹の少し上ぐらいまでだったら登る事が出来る。おれっちと倉田はそこまで登るがおれっちはさらに頂上(四〇六m)までめざして登った。しかし、そこから上は絶壁でその上岩がボロボロなのでさすがのおれっちも途中であきらめる事にしたんであります。
 倉田はここで京都から持ってきたトランペットを吹きよった。おれっちは横で聴いているがその音色に男ながらほれぼれする。そして、また場所が良いのである。残念ながら羊蹄山は見えながったが少し向こうには太平洋が見え、前方下の方には蒸気機関車がおもちゃのように小さく川に沿って平原を走って行く。誠にけっこうである。
 いよいよ下山であるが、普通観光客が降りるように登り口の方からは降りず、又、おれっちも倉田もみんなが降りるところから降りてもおもろないので、さっきの列車が走っているところまで行こうといって裏から降りていく事にした。そばにいた観光客達はびっくりしたような顔でおれっち達を見ている。
 しかし、いざ降りてみるとこれが又、たいへんな所じゃ。途中から谷間に入り、両側はガケと木ばっかりで、谷間にはとてつもなくでっかい岩がゴロゴロしている。道なんていうものは全然あらへんのよ、しかし今さら引き返す事は出来ないし、そのまま進む事にした。ところどころにほら穴があり今にも熊が出てきそうである。おれっちは京都駅に木刀を忘れてきたのが残念でたまらなかった。熊がもし出てくるとアカンので木刀の代わりに石を手に持って歩く事にした。道なき山林をどれくらい歩いたじゃろうか。会いたかった熊とも会えず無事道路に出る事ができた。が、道路に出てはみたものの列車の駅がないので、しかたなく次の駅まで歩く事にした。
「倉田どうするこれから、室蘭まで歩くけ?」と泥だらけのおれっちが言う。
「どれくらいあるにゃ室蘭まで」
「そやなあ三十キロメートルぐらいや」
「へーっ! 三十キロもあるんけ」と倉田びっくりしたようにおめめを向上さして言う。
「ほなヒッチハイクで行くべ」と言って二人は車が来るまでルンルン気分で歩いて行く。
車もあまり通らないところやなぁ、とブツブツ言いながらも、ようやく後ろから一台の赤いカローラがやって来て「乗らんか?」と言ってくれたので、ラッキー! 喜んで乗ってやった。少し経ってから雨が降ってきた。それもかなりきつい雨である。おれっちと倉田は車に乗せてもらって良かったなぁと喜んでいたんでありんすが、実はこれがいけなかったのじゃ。いままで快晴だったのが車に乗せてもらってから急に雨が降ってきたのである。それにこの雨が後々一週間程降り続くのだから、おれっち達は幸い中の不幸であった。
 途中車はパンクするハプニングもあったが、その人は、雨に濡れながら黙々とタイヤ交換をしてくれた。ほんまに北海道の人って親切なんやなぁと思った。どうにか東室蘭まで着いた。そこで車の人に礼を言って別れる。倉田はそっと祇園祭りの絵はがきを後部座席に入れて車から降りた。
 東室蘭で一時間列車を待って登別に着く。午後四時三分である。

  *熊ゴローと棒引き

 荷物をY・Hに置きに行く。Y・Hのおばちゃんが登別の見物地を教えてくれたので出て行ってやった。
 登別温泉附近はどこへ行ってもみやげもの屋ばかりである。それも木彫りの熊がほとんどで、めずらしい物はないような気がした。みやげもの屋の店先では人間が熊の木彫の実演をしている所もある。
 おれっち達はクマ牧場へ行く。
 最初は子グマを見て安心した。
 なぜかというと昭和新山の下山の時、もし熊と会ったら戦わなければならない。
 それで登別の子グマを見て、あーこんなんか熊というのは、これなら戦っても負けへんで、と思って安心したが、後で親グマを見て安心も一吹きじゃ。
 ムチャクチャにでっついのである、親グマというものは。
 こんなんと戦えば勝つどころか死んでしまうで。
 昭和新山のときはほんまに会わなくて良かったとつくづく思う万吉様でした。
 この親グマが居るところに、オリで囲いをしてあるが、人間が入れるようになっている。
 熊から見れば人間がオリの中に入っているように見えるので、まるで人間オリである。そこでは熊にエサをやれるが、おれっちはそのエサをやる鉄の棒で熊と綱引きと違って「鉄の棒引き」をしたのじゃ。
 そこで初めて熊の力がわかった。熊ゴローは鉄棒を前足でおさえているだけなのに、おれっちは全力で鉄棒を引っぱるがビクともせず、なら押してみるがこれもダメ、全然動かないのである。それ以来おれっちは熊と戦おうという気にはなれなかった。
 次にアイヌ村に行ってみる。アイヌの家の屋根、壁はワラで出来ており、中へ入ってみると、気色の悪い女の人がいる。家の中にはみやげものがあって、おれっちは絵ハガキを買わされてしまった。
 家の中にいる女はお化け同様、口のまわりに青スミを二まわりも三まわりにもつけており、気色が悪い。
 あないな人と夜、出会ったとしたら、おれっちは腰をぬかすかも知れんゾナ。
 又、そこの食堂へ飯を食いにいくが、店の中は店員達が一つのテーブルにかたまり何やら密談中である。客は誰もいない。
 おれっちが「ラーメンくれ」と言うが店員はそしらぬ顔、おれっちは倉田の顔を見ながら「何じゃい、この店は」と聞くが、倉田も不思議そうな顔で、
 「さぁ知らんで、何やこの食堂も気色悪いねぇ」と言う。
 「おい出ようや」「OK」と二人はドアに近づいて、外に出ようとしたら店員達がこっちを見るではないか。
 「ウワーッ」とおれっちと倉田は悲鳴をあげて走って逃げたのである。
  雨も降っていたのでロープウェイで下に降りる事にした。ロープウェイは六人乗りで、中には東北人らしい人達が四人いて、あと二人はおれっち達であった。
 その中でおれっちと倉田は笑いに笑った。東北人がズーズー弁を話すのでおれっちと倉田は帽子を深くかぶり、下を向いて笑うのをこらえるのに苦労した。
 YHに帰ったのは十九時くらいである。風呂に入る。部屋は八人部屋の一人一台のベットである。大阪の野郎と出合う。その友達は、今ストリップを見に行っているとの事、今日も絵ハガキを書いて。零時に寝る。

  *「やめた」という言葉が通じない

 朝、七時五十五分、登別駅を出発。登別駅の改札口のところには親グマの剥製が置いてあり、握手をして別れた。列車は苫小牧に着き、そこからバスで支笏湖へ行く。支笏湖、面積は七六、一八平方キロ、周囲四十一キロ、最深三 六三メートル、名産はヒメマス である。水温は冬でも二、五度以下には下がらず湖面が凍らないし、日本最北の不凍湖である。
 ここに行った時は昨日から降っていた雨が少し止みかけていた。一人で湖畔を歩いてみる。湖は静かでロマンチックな感じがするから、アベックで来ると良い。おれっちがダンスホールでアルバイトをしていた頃、佐々木という男らしい熊本人と知り合ったが、その人が「支笏湖はええぞ」と言っていたが、まさしくその通りじゃった。
 支笏湖から苫小牧にもどり鈍行で静内まで行く。この辺りは列車に乗っていると木材加工業という工場がやたら目につく。
 予定ではここから牧場に行くはずだったが、雨がまたも強く降ってきたので変更じゃ。道南バスの待合室で休憩をする。待合室の中では、地元の酒屋のおっさんと話をするが、このおっさんはおれっちに質問したり、答えたりする時はしつこく言うので、おれっちはええかげんじゃまくさくなってしまったじゃらほい。
 そして、そのおっさんは
「都会の人間に親切にしてやったら、あとで得をする」と言って、さらに
「去年、東京から来た一人の女の子を、わしの家で泊めてやったら、後から一万円送ってくれてなぁ」とまるでおれっち達にあてつけで言ってるみたいゆんけ。
「ところでおまえさん達どこへ行くつもりじゃ」とそのおっさんは言う。
「ハァー、牧場まで行くつもりが雨も降ってるし、バスの時間はないので、牧場行きはやめてこれから、えりも岬の方へ行こうと思ってるんですけど」
「なんじゃぁ?」
「牧場へ行くのはやめたんです」
「『やめた』ってどういう事なんじゃ、意味は?」
「『やめた』というのは、中止、取り消すという事でおます」
「なんじゃ、中止の事か」
「はいな、関西弁ですねん」と言うと、そのおっさんは出て行ってしまいよった。
「倉田、そろそろ駅へ行こか。列車の時間が近づいてきたし」
 静内駅から様似行きの列車に乗る。この辺りは車窓から外を見れば、ほんとうに北海道らしい所である。右側の窓を見れば線路のすぐ近くに海があって、その海がずっとはるか遠方、地平線まで続いているのが見え、又、反対側の窓からは辺り一帯、すこぶる広大な十勝平野が、そして十勝平野のはるか遠方には、日高山脈がまるで地平線のごとく、うっすらと見えている。
 こんな広々とした景色を見ると、おれっちはなんかウキウキしだすのであります。
 様似、これは「サマニ」と読むんだが、知らない者が読めば「ヨウジ」と読むそうだ。
様似からは国鉄バスで、えりも岬まで行くんでありんすが、その道路の悪さには参ってしまった。
 前に行った函館山から下りの時なんざ問題にならない。
 なにしろ出発点から終点までガタガタのしどうしである。おれっちはバスが、地上分解しないかと心配していたが無事、えりも岬に着いた。
 えりも岬には予定より一日早く、十五日の夕方に着いてしまった。
 バスから降りると旅館の客引きが七、八人カニ族に声をかけていて、おれっち達にも声をかけてきたが、無視して岬の突端の方へ行く。突端には明治二十二年に開設された一等燈台があって、光達距離四十一キロ、霧笛、無線装置をもつ立派なもので、太平洋をにらんでいる。特に霧笛は近くに行けば腹底をえぐり取られるような低い音である。
 おれっちと倉田はそこから下へ下へと浜に降りて行く。浜と言っても、岩ばかりじゃったが、風が強く海は荒れていて人っ子一人いないのである。
 今日は「えりも荘」という民宿に泊まる。ここから見る燈台の光りはまことに不気味なんじゃ。風は強く、まるで台風が来ているみたいであった。
 よく朝目を覚ますと雨が降っていた。
「目薬をさして目がしみる首をふりふりひんがら目で、ほな寝よか」これは昨日寝る前にしゃべった言葉である。

  *女風呂と男風呂の間はプラスチックの板

 今日は帯広から糠平まで行くんじゃが、天気の都合で予定通りに行けない。えりも荘を九時過ぎに出るが、雨、風が強く、みやげ物屋でバスを二時間待った。
 しかし、カワイコちゃんが一人いたから二時間の待ち時間も三十分くらいに思えた。やがてバスが来て乗り込む。又、ガタガタの道で、胃が垂れていきそう。
 この道路は黄金道路といって良い道であるのだが、おれっちが行った時はちょうど工事中であったのだ。
 えりも岬を出て四十五分程経ってもまだ例のごとくガタガタで、ここはガタルカナルか、この辺から左側に岩が見えだしてきた。まるでアメリカの西部の町に入って行くみたいである。この道は山が海に落ちている所を切り開いたので、右下はすぐ太平洋である。
 やがて良い道に入る。おれっちは喜こんだねえ。だがその喜びもむなしく二、三分で又、ガタガタ道じゃ、どないなっとるんじゃ。
 だいたい、前の函館山の道路かてそうだが、年中で七月、八月というのは北海道の旅行者が最もよく来る時期なのに、それまでに道路を直さないというのは、えっ、読者の諸君、どういう事かね、とか何とか思っているうちに広尾の町に着いてしまった。帯広へ着いたのは十五時五分である。
 帯広の街を少し歩いて十六時十分発の十勝三股行きの列車に乗る、(今はもう廃止されている)蒸気機関車、CDである。この列車は高校生が学校から帰る時間に合わせてあるので学生で満員なのじゃ。特に、ここらの女は全くようしゃべるわ。
 おれっちは将来、あんなペチャクチャ、ペチャクチャしゃべる女は嫁さんには、まかりまちがってもしたくないね。
 高校生達はほとんどが二つか三つあるいは四つ目の駅で降りてしまう。
 それからは乗る客もいないので列車内には、おれっち達、カニ族だけで、車内はガラガラのガラすきであるのである。
 糠平駅から四つ手前の駅、上士幌駅を過ぎてからは、線路の左右は山と谷川がせまってくるので、心が落ち着かない感じであったが、秘境に来たなという気もして嬉しかった。
 C■が山を登って行く時、速度は二十キロぐらいに落ちるが、おれっち達を乗せて、苦しみながら山を登って行く姿は、どことなく親愛感が持てる。
 おれっちも、C■のボディーをたたきながら、「ガンバレ、ガンバレ」と応援したものだ。
 機会があれば、もう一度この場所でこの列車に乗ってみたい。
やがて線路の右側に糠平湖が見えだしてきた。糠平湖は周囲約三十キロの人造湖で、大雪山を水源とする七つの川が集まっている。
 二人は糠平駅に下車すると、ユースまで歩いて行く事にした。
 ここのYHは、おれっちが今まで泊まった全国の中でも最も良いように思う。
 建て物よし、風呂よし、食堂よし、ヘルパーよしと、何をとってもバツグンじゃ。まず風呂に入るが、YHの風呂としてはバカでかく、それに隣の女風呂とはタイルの上にプラスチックの板があるだけで、のぞき込もうと思えばのぞけるが、それはおれっちの理性がゆるさなかったので、やめておく事にした。しかし、今思えば残念で残念でしゃぁないでE
 倉田は腹が減ったらしくブツブツ言ってるが、その点おれっちはスペシャルな胃袋をしているもんね腹は減らない。
「倉田、暇でしゃぁないなぁ、食堂へ行こか」とおれっちが言う。
「オーライ」
 食堂には4、5人の男がいた。みな絵ハガキを書いている。
 そこでは千葉の野郎と広島大学に行ってる野郎と友達になる。千葉県の野郎がおもろいんだなぁ。おれっちに旅行のコースばかり質問に来るんだ。
 何しろ「こっち行くよりそっち行く方がよい」という事を「こっち戦めるより、そっち戦める方がいいのかね」と言ってくるのでおれっちは倉田と顔を見合わせて笑ったもんである。又、広島大学の野郎は彼女の住所忘れたと泣げいていた。

 おれっちは少々腹が減ってきたので台所に食い物を探しに行く事にした。
もちろん人目につかぬようにである。なんとか食い物は探し当てた。部屋にもどり一人で食べる(あられなので台所で食うと音がしてばれる恐れがあるので)食べ終わると食堂へ行き、ヘルパーと話しをしていた。
おれっちがこのY・Hへ来る前日に糠平湖で女の自殺があったらしい。それから話はお化けの話しに変わるのである……。
もう一つは“ベカンベ”という木の実の事である。おれっちは今までこんな物が、あるとは知らなかった。ベカンベ、それは日本全国で北海道だけで取れる物であって、その北海道の中でも苫小牧の近くにある小さな湖だけにあるもので、朝早くその湖(ウトナイ湖)の浜を歩いていると、波にうち寄せられて浜にころがっているのである。型は動物のコウモリを小さくしたようなものである。
コウモリの翼みたいな先には鋭い針がついていて、アイヌの娘は昔、それを首かざりにして、自分の身を守っていたらしいのである。
 ここらは大部、寒いので寝る時はふとんを二枚かぶり、さらにあまったフトンを足元に置くのでまるで冬なみである。今、夏やろうなと疑いたくなる。

  *ゲテモノ喰いが六人集まる

糠平Y・Hを後にしておれっち達三人(昨夜の東京の野郎がまじる)は、帯広に向かう。帯広では三人で百円のカレーライスを食う。百円にしては量があるので腹がふくれる。味は、そこの店のねえちゃんがべっぴんなのでガマンしておく。
シャンプーを買いに化粧品屋へ行くと、中で化粧の実施をしていたので、その横に行き、おれもやってほしいなぁ、と化粧品屋のねえちゃんに言うが笑われた。
 帯広から釧路まで臨時急行“まりも”で行く。横にいたおっさんがへんなへんなおっさんであった。まるで熊ゴローみたいな……。
「あんたらどこまで行くのじゃ」と熊ゴローはぶっきらぼうに言ってきた。
「うん、釧路までです」
「おっちゃん、この辺はでっこいフキの葉があるね。然別湖(しかりべつこ)に行った時もでっこいフキの葉があって、ちょうどその時雨が降っていて、二人の女の子が、そのフキの葉をかさの変わりにしていたんですけど、この辺りはそんなに大きいのですか」
と倉田が熊ゴローちゃんに質問をする。
「そうなんじゃ、北海道のは本州のと比べ物にならんほど大きいのじゃ」
「ここらに咲いているフキは食えるんですか」
「あたりまえじゃ、ここらのは食うてもうまいんじゃ、山に咲いているフキはうまくないが、川や沼のじめじめした所に咲いているフキはものすごくうまいのじゃ、それにうまいフキは、茎を切ってみるとわかるんじゃ、うまいフキはな、茎をスパッと切るとピュッと水が出るんじゃ、噴水のようにな」
「熊は力が強いんですか」と話す事がないから、しょうもない事も聞いてみた。
「あー、熊は強いで!!おめえさんの首ぐらい前足でヒュイとたたけば向こうの方に飛んでしまうぞ、牛や馬の首の骨を折るぐらい簡単なもんじゃ」
「おっちゃんは今まで熊と会った事ありますか、山道で」
「いや、わしはまだないなあ、もし会えば片手をあげて、オッス!!と言って通り過ぎたらええんじゃ」とまあ、いろんな事を教えてもらった。
 釧路には夕方五時頃に着く。駅を出ると以外に寒くおれっちはふるえていた。駅前で女学生三人のうち一番べっぴんな女の子に写真を取ってくれと頼む。
「ねェー、ちょっと、あの真ん中の女の子まぶいね」と糠平Y・Hから一緒に旅をしている千葉の野郎がおれっちに言ってくる。
「なんや、どういう意味や、“まぶい”って」
「あえっ、君達使わないかい京都では」と不思議そうな顔をする。千葉の野郎は、街でカニを一人イッピキづつ買ってY・Hに行く。カニを買った時、大阪の二人の男と友達になる。釧路のY・Hは評判が良くないらしいがそうでもなかった、かえっておれっちにはここでのY・H生活が最も印象に残っている。風呂は二、三人入れば満員なので早めに入って飯を食う。ここで京都から自動車で来たというフルート吹きの名手に出合った。この名手は倉田の家の近所に住んでるんだが、倉田はまだ一度も見た事がないと言う。仮りにこのフルート吹きの名手を“クラシックのプロ”と名付ける事にした。そしておれっちは “ボーカルのプロ”倉田は“ジャズのプロ”と名付けられるようになった。
 飯の時間が終われば、おれっち達は買ってきたカニを各自テーブルの上にだし、食う事にした。もうそれはそれは、みんなむちゃくちゃである。カニもたまらんやろうなあ。あれでは、腹はグシャッと押しつぶされ、腹の中のものは、グニャグニャとかき回されて、テーブル一面、カニのしるだらけである。女の子は、きしょく悪く近寄らない。みんなゲテモノ食いやと言いながら食べている。
 それが終われば名曲の時間で、フルートのプロがいろいろクラシックを吹くのである。特にアルルの女なんかは良かったね。
 ミーティングの時間はクラシックプロ、ボーカルプロ、ジャズプロの三人京都人が思うままにしていたのである。さすがにおれっち、ボーカルのプロはさえていた。知床旅情に軍歌を唄うのであった。
 千葉の野郎は寝る所がないのでろうかに寝かされている。かわいそうだから、おれっちは夜中に話し相手になりに行くが30分程してヘルパーにどなられる。しかたなく自分の寝床にもどっておやスミでしゅ!!


     *牛、モウー

 七月十八日、午前六時二十五分にラジオ体操の音楽がY・H中、かなりでっこい音でなりひびいている。おれっちは、パッと起きて庭に出て体操をする。千葉の野郎の起きてきて一緒に体操する。ラジオ体操は小学校いらいである。
 朝食を食って八時間十分にY・Hを出発、途中バス停まで、昨日、ミーティングの時、教えてもらった国造りの唄をうたいながら行く。大声を出して唄っていたので家の窓を開けたオバチャンがこっちを見ているではないか、又、車は急停車して窓を開けてしばらく見ていて、ほんでもってスーと前進していくのじゃった。精神病院からぬけ出して来たとまちがわれても、しゃあないで、ありゃー。
 なんとか釧路まで行く。そこからは弟子屈(てしかが)まで行くのだが、千葉の人ともいよいよお別れで、その人は標茶で乗り変えて、尾袋沼の方を戦めて行くらしい。弟子屈からはバスで阿寒湖へ行く。湖ともいうものは畔まで行くとダメである。山の上からでも見なけりゃね、君、良さがわからないもんね。
 阿寒湖から美幌に向かって行く途中に湖があるが、この湖がなんとまあ、北海道の型にそっくりなんだなあ、それに不思議な事に方向まで一緒なんだ。この湖が型どっている北の方は、宗谷岬にあたり、南はえりも岬の方向をさしており、東は知床半島、納沙布岬、西は、札幌、函館の方向を示しているのでございます。全く感心しましたねェ。
 美幌町にバスは着くが、見るものは何もなく、すぐ美幌峠経由、川湯温泉行きのバスに乗る。美幌町を出ると、真っすぐ真っすぐ続く六kmの直線通路がある。道路は地平線まで続いている。通路の横にはところどころに“サイロ”という、建物が立っている。サイロとは、北海道独特の物で小さいもので40トン、大きい物で100ト ンのウシのエサが入っ
ている。
 美幌峠近く来ると急に霧が出てきてしまって、美幌峠に着いた時は、もう何も見る事が出来ない。十メートル向こうの物がうっすり見えるだけである。美幌峠から見下ろす景色は北海道でも最も良いらしいのであるが、そらあ残念無念じゃった。
 バスは美幌峠から下へ下へとくだって行くが、下の方は霧なんて全然ないもんね、ほんまに、おもろい所ではあるのでございます。前方には、屈斜路湖(くっちゃろこ)が見えてきた。それはそれはもう、何んとも言えん実にすばらしいのでありまする。道路は高速道路なみにキレイし、両側は緑の木々がイッパイあるわあるわ、トド松、エゾ松、カラ松、ジュウシ松、オソ松とまではいかないが、トド松、エゾ松だらけで草もずっと遠くの方まで一面にあるのである。ほんまに我れはわすれるわ、こんな景色を見れば、機会があれば、オートバイで行きたいですなあ、万吉は。
 バスは、釧路川の源を通過して屈斜路湖畔へと着く。そこには、“砂場”という所があって、そこの砂を掘ると、出るわ、出るわ、わんさか湯が出るのじゃ、そして湖の中に手をつっ込んで砂を掘っても湯が出るもんね。
 夕方五時頃、川湯温泉に着く。Y・Hは歩いて十分くらいの所にある。ここのY・Hは普通の旅館とつながっているので、すっごくでっかい。
 風呂に入るが、すぐ出ていくのは京都の万吉こと梅原の栄ちゃん、ぼんぼんでしゅう。なにしろここの風呂は、サビくさく、下のタイルはぬるぬるで、きもちがわるい。
 北海道へ来たら白樺の木を持って帰るつもりだったので、ちょうど、このY・Hのウラの庭にあったので、しっけいしてしまった。わるぎはあったもんネ。
 ここのミーティングは白けた。ヘルパーが女の野郎で気にくわない。五十人くらい集まってから各自己紹介が始められた。みんな、はずかしがって、あまりしゃべらないので、おれっちは、仁義をきっちゃった。“ぶしつけながら、ごとうち、お姉さんとお見うけいたしゃんす。わたくし旅中の若情、青空三尺三寸、大道かりうけましての仁義、まっぴらご免こうむります。……と五分程、仁義をきる。仁義をきってからというもの、この万吉様は有名になりました。又、三人おいて左横のネエちゃんが、おれを見てよく笑うので、おれっちに気があるんじゃなかろうかと、うぬぼれもしやんした。そらあっおれっちは自称、ボビー・シャーマンで通るもんね。
 午後、九時頃部屋にもどり、みんなと話しをする。日記を書いている時に十時になったので電気を消される。
 元スイッチから切られているので、つける事もアイキャンノットです。しかし、おれっちの横のベッドの野郎が特大のローソクをみんなに、かしてやりおった。おれっちもかりて日記を書き続ける。寝る前にタバコを一本吸う。部屋は禁煙なので窓を開けてプカプカやる。
 窓を開けて町の方を見るとまだ電気などがついていたので、みんなに町の方へ行って見ないかというと、まだみなさんは寝たくないらしくみな賛成である。この時、すでに十一時十分前、Y・Hの外出禁止時間は九時過ぎから十時まで、Y・Hの玄関は開いてないので、ずっと奥の旅館の方から出て行く事にした。
 しかし、そこには、旅館の番頭らしき者がいるではないか、こらァダメだなあと思って立ち止まったが、神戸から来ている者と大阪から来ている者、二人が、そのまま歩いて行って玄関に行った時に番頭の“どこへ行くんやあんたら、あんたらY・Hの客と違うのか”という声がしたかと思うと
「僕ら便所に行くんです」と大阪の野郎が言って、こわごわ引きかえってきた。後で気がついた事だが、その大阪の野郎は“便所に行く”と言った時の姿は、外とうを着て懐中電燈を持って帽子をかぶっているのである。それに気がついた時は便所に行くのになんでそんなカッコウをして行くんやとみんなで大笑いをした。一度みんなは部屋にもどって何か良い方法はないかと考える。しかし考えつかないので再び旅館の方から出る事にした。
 先頭が三、四人(合計八人)出た所で、ちょうど女のヘルパーに見つかってしまった。
 この女ヘルパーはうるさいので、おれっちは真っ先にベッドにもぐり込み寝たふりをする、先に出て行った野郎は女ヘルパーにガミガミどなられているではないか。あーぶったまげてしもた。
 最後の外を出る方法は窓からであった。おれっちが窓を開けて出ようとしたとき、よりによってパトカーが来たのである。コラッあかんと思い窓をいそいでしめる。どうやら今日はツイてない事がわかったので外を出る事はあきらめましたのでござる。
 七月十九日、朝から雨である。川湯からバスで摩周湖へ行く。大阪の野郎と一緒である。
 摩周湖は全然見えず辺り一面霧の海である。まるで雲の上にいるみたい。バスの停止時間は二十分、旅行者は摩周湖が見られずアキらめて帰って行く。しかし、おれっちと倉田、大阪の野郎はまだねばりにねばっている。バスの発車二分前に霧が急に晴れていくではないか。見えた!!見えた!!摩周湖が見えたと叫ぶ、一分程で又、霧が出だしたが、その一分間の喜び様はたいへんなものであった。そして摩周湖は実にすばらしかった。その水の色は染めてあるような神秘な色であった。摩周湖ははじめから見えている時よりも、霧の間から急に見え出した時の方が、印象に残るものだと思う。さすが霧の摩周湖である。さてバスは、摩周湖から弟子屈に到着。ここで大阪の野郎と別れる。
 日本最北端の駅、根室に着いたのが昼の三時五十二分。列車から降りると外は雨が降っていて、すこぶる寒い。根室に来る前、釧路駅前の“えりも食堂”というところへ入る。店員に一人、しごくかわいい人がいる。そばもうまかったなあ。君も北海道へ行けば、ここの食堂へ行くべし、カワイコちゃんに会えるもんネ。
 釧路から乗った列車は根室まで行かず厚床(アットコ)で終点である。
 おれっちは、列車から降りるやいなや、帽子を忘れたのに気がついたが、時すでにおそく、列車は出てしまった。
 あの帽子には、今までの観光地で買い集めたバッチが取りつけてあったんじゃ。その数は約25個、帽子をバッチでうめつくそうと思っていたのに。帽子をなくしたとたん旅行する気もなくなってしまった。
 駅員室へ行って、あちこちの駅に連絡してもらったが、とうとう見つからずじまいであった。
 おれっちは泣きたい気持ちであったが、男一匹万吉様がこんな事でふてくされていては男がくさるのでアキラめたがやはりアキラめきれなかったの。
 厚床の駅では根室行きの列車を待つため四時間も待ちぼうけである。その間、おれっちは線路内に降りて駅構内をスケッチする。倉田は、材木が積んである上にのってトランペットを吹いている。
 駅の東側一帯は広々とした畑であって、おれっちはスケッチを終えた後、その畑をはしゃぎ廻る事にした。
 他の者が見れば気が狂ったように見えたのではないかなぁ。
 ほんまにノンビリした所ではある。
 汽車も二時間に一本通る程度で牛はノンビリアクビをしながらモウである。
 それを見ていた、おれっちと倉田は、ウジウジしながらウシ、モー、ウシ、モーの言いあいである。それ以来、倉田はおれっちを呼ぶ時は「ウシ」と言いやがる。しゃあないし、おれっちは「モー」と応えるのである。
 根室駅に着くやいなや、雨がザザッーと降り始めた。
 駅から雨の降る中を歩いてY・Hに行く。うしろからは外人らしき人がついてくる。
 おそらくY・Hに行くのだろう。Y・Hに着いたのが午後四時頃、普通だったらこの時間はガラガラすきのはずだのに、外は寒くそれに雨が降っているのでY・Hの玄関は満員であった。
 飯を食った後、倉田は十八番の英語で先程の外人に話しかけていくのであります。おれっちは横で聞いているがチンプンカンプンナンジャラほい、わかりゃあせんので兵庫県から来たという二人の男の人と話しをする。この人達はオートバイで北海道ツーリングをしているらしく今日で十日目とのこと。オートバイは二百五十0ccと三百五十ccである。
 それからもう一つ、おれっちはこのY・Hで生まれて初めての事をやってのけた。それはジャジャーン、ストーブにあたったのよ、まさか夏にストーブにあたろうとは誰が思うかコンチクショウ。
 それ程、ここは寒かったのヨ。地元の人はこんな天候は二十五年ぶりと言っておられたもんネ。


 *牛の乳をしぼるおれっち

 七月二十日火曜日、七時四十分にY・Hを出発。日本最北端の地、ノサップ岬へと足をのばす。風は強くその上寒いので、落ちついて見る事もできないのだ。晴れていれば、知床半島、国後島、水晶島などが見えるのであるが、残念に一つも見る事が出来ないではないか。寒いので食堂の茶店でコーヒーを飲む百円で あった。昨日Y・Hで知り合った兵 庫県からオートバイで来ている二人連れが食堂に入ってくる。寒い寒いと言っている。
 バスで根室駅まで引き帰し、目ざすは尾袋沼(おだいとう)である。西別駅から国鉄バスで尾袋沼まで行くが、途中パイロットファームを通って行くのでありまする。このパイロットファームはすっごくでっかく、広大な草地地帯であります。もう、それはそれは行って見なければわかりっこない、はるか向こう地平線まで草地が続き山など見えないもんネ。この辺は今は別海町となっているが、今年の三月までは別海村となっていて、日本一大きな村だったそうである。人口密度も日本で一番低い所である。
 尾袋沼のY・Hに泊まるのは、実は理由があったからである。このY・Hのヘルパーとは去年の冬、おれっちが九州に行った時、別府のY・Hに泊まった時知り合いになったので、夏は北海道の尾袋沼Y・Hでヘルパーをやっているとのこと。それでおれっちは尾袋沼Y・Hに泊まる事にしたのだ。しかし、いざY・Hに行ってみると、もうやめてしまっていないではないか、一瞬がっかりしたなあ。
 尾袋沼の町は漁港があるので魚くさいが、これもいいなあと思うような気もした
 晩飯しの時、倉田はメシ喰っている時、おれっちは貝ガラを取りに行くのである。Y・Hの近くの倉庫に貝ガラがぎょうさんあるんやわ、それを取りに行くねん。一度はそこのおっさんにどなられてしまったが、この万吉くん、再び倉庫に登場である。二度目はバッチリ成功をするのである。これで京都にいる友へのみやげ物がタダで手に入ったもんネ、ウシシシシ。
 このY・Hのミーティングはどんなんかなあと思って行ってみるが女一人がベラベラしゃべりまくっているので、すぐさま部屋にもどる。
 翌朝は午前四時前に起きて近くの農家へ押し込んで行っちゃったの。
 往きは道がわからず一時間かかっちゃった。おれっちは朝のトレーニングで走って行ったので少しつかれたわ。
 探し探し求めてやっと一軒の農家が見つかった。いざ押しかけて行ったが見事断られてしまった。二軒目はすぐ見つかりいざ戦めて行くと今度は見事に成功である。そこのオッチャンは非常に親切で好感が持てた。そしておれっちは牛の乳をしぼらしてもらったが、これが又、仲々出ないんだなあ。オッチャンがしぼるのを見ているとえらい簡単に見えるのに、むずかしいものである。
 倉田が乳をしぼろうとした時、牛ちゃんはバクダン(うんこ)を落としやがった。ほんまにもう、ぶったまげたわ。乳をしぼった後はいよいよまちにまった乳が飲めるのでありまする。
 家内にあがらしてもらい、いろりの側に坐って、そのいろりで乳を暖めるのである。


 さすがに街に売ってあるのなんか問題にならん程濃いしうまかった。おれっちなんざ五ハイも飲んで腹の中はダップンダップンである。そしてオッチャンとオバチャンと一緒に記念撮影をしてさよならをする。その農家からの帰りの朝焼けのすばらしかった事、その朝焼けにうつし出された漁舟の姿も実にすばらしく、かつ旅情がありましたのでございまする。その農家からの帰りも、おれっちは腹をダップンダップンさせながら走って帰ったのでござる。なにしろバスの時間に間にあわないから……。
 Y・Hにもどれば天気も良くなって、国後島、知床半島が見えているのであります。
 尾袋沼から根室標津までバスで行くが、倉田のこの根室標津の標津を“ひょうづ”とよく言うのである。君はわかるかな、これは“しべつ”というですヨ。
 根室標津から一時間三十分かかって斜里まで行くが、途中、じゃがいもの花が一面に咲いている。まったく見事に咲いている。遠く遠く地平線まで咲いているのである。ここらのじゃがいもは北海道の中でも収穫は一、二を争う所であって、そのほとんどは、食用には使わず、でんぷんにしてしまうそうである。ちなみに一番おいしいジャガイモが取れる所は札幌から苫小牧までの間で取れるヤツである。
 おれっち達は計画では羅臼(ラウス)から船で知床半島を廻るんであったが、途中で知り合ったカニ族に、廻ってもおもしろい事ないと言われたので、羅臼からウトロまで登山をする計画に変えてみたが、それも地元の人がダメだと言った。その辺は、熊がよく出る所らしい。おれっちは京都駅に木刀を忘れてきたので、クマと戦うのもイヤだし結局はバスで斜里まで行く事にしたのである。
 斜里まで来れば旅人もあまりいないであろうと思っていたが、なんのなんのいっぱいいるではないか、斜里では一見、ヤクザ風の男にインネンをつけられそうになったが、おれっちが強そうに見えたのか、別にどうって事はなかった。
 斜里からバスでウトロまで行く。途中、オシンコシンの滝なども見る事が出来た。ウトロには以外と早く着いてしまったので知床Y・Hに荷物を置きに行く。
「倉田、まだ晩めしには時間が早いし、どっか行こか」と、おれっちが言う。
「知床五湖へ行ってみたいね」
「どこでもええし、まあ外へ出て行こうや」とおれっちはスケッチブックを持ってY・Hを出る。倉田もトランペットを持って出て来た。ウトコ港におまもりと違って、おもろい岩があるので、知床五湖へ行くのはやめて、そっちの方へ行く事にした。
  ついに、おれっちは野生の女を見つける  
 その岩は怪獣のゴジラによく似ていて、地元の人はゴジラ岩と呼んでるそうだ。しかしその岩を見ていると、ほんまに、まったくゴジラにそっくりなのである。こんなにうまく出来るとおれっちは、ほんまに感心したね。
 その岩よりまだ先に行くと、頂上が平らになっている、オロンコ岩がある。その岩は階段が取りつけてあるが、その一段一段がアホみたいに高いので、足の長いおれっち(?)は大丈夫であるが、女の子が登って行くのを見ているとカワイそうな気もする。

  *また、東京のカニ族がいた

 十四時四十分上川発札幌行きの列車に乗り込む。
 なんとその列車には、北海道での第一日目に青函連絡船の中であった、東京の二人連れのカニ族が乗っていたのである。函館から今までの旅の事を話し合っていて時間のたつのも忘れていた。
 帯広の町ではおもしろい事があったと言っていたが、おれっち達には話してくれなかった。
 列車は旭川に到着。そこで四人とも降りるが、東京の二人は金がなかったので交通交社へ行き旅館のキャンセルの残り金をとりに行くので、おれっちと倉田はその二人を駅で待つ事にした。
 稚内行きの列車は札幌駅が始発なので、おれっち達は札幌まで行くのだが、東京の二人がまだ帰って来ないではないか。
 しかたがないので倉田はその二人を探しに、おれっちは座席を四人分取るために先に列車に乗り込むのである。しかし探しに行った倉田までが帰ってこないまま、とうとう発車のベルがホームに鳴りひびくではないか。一瞬おれっちはあせったネ。ベルが鳴り終わっても倉田が姿を現さない。とうとう列車は出発したのである。
 こらあ一人旅になるなあと思っていたが、倉田がひょっこり現れて「あの二人、見つからなんだわ」と落ちついて言うのである。
 おれっちがこんなに心配してるのも知らんと、ほんまにもう心配してやってアホらしくなってきた。
 列車が札幌に近づいてくると、車窓に西陽が差してきたのである。
 二人は太陽や太陽やと叫ぶ。まるで太陽の光りが珍しいかのように叫んだので、前のオッチャンは白目でこっちをにらんでるではないか。いかにも、おれっち達の旅行が天候にめぐまれなんだか、これでわかったであろう。
 札幌に着いたのが七時前であった。稚内行きの列車にはまだ二時間程時間があるので荷物を一時駅に預けて二人はラーメンを食いに札幌駅を去って行くのである。
 さすが本場だけあってラーメンの味はバツグンであった。まあ腹も空いていたこともあったかもしれないけど……。
 二人は駅にもどり午後九時二十分発、稚内行、急行「利尻」に乗り込むが、すでに車内は満員であるので、しかたなくデッキの所に坐わる事にした。

  *小樽のオッチャンとケンカ

 始発の札幌でこないに混んでいては旭川駅からなんか、とうてい乗れないであろう。札幌まで来て良かったばい。
 やがて列車も発車してしまった。おれっちの横には小樽から来たというオッチャンが乗っていた。それもサントリーウイスキーの角ビン二本を持ってである。おれっちはコラ後があれるなぁあと思っていたが、知らんまにドアのすみで寝てしまった。
 そして数時間たつと、まわりがさわいでいる音で目がさめ、案の条、そのオッチャン一人であばれているのである。
 ウイスキーのビンを見ると、なんと一本はもうスッカラカンで二本目も半分まで減っているではないか。酔っただけではまだ良いが、そのオッチャンは関係ない客の肩にもたれては、エヘヘヘ……と笑いかけ、頭をポカッとなぐるのである。
 客も非常に迷惑そうな顔をしている。しまいには、デッキにいる客やカニ族は車内に入って中からカギをかけてしまった。
 さあデッキに残るのは、そのオッチャンとおれっちと倉田だけである。おれっちの性格として、何の関係もない人にいたずらをする人間はゆるしておけないのダ。
 正儀の味方だもんネ。戸川万吉様は……。
 ついには、おれっちの肩までもたれてきたのだから、そのオッチャンも運が悪かったネ。
 おれっちはオッチャンをどついてしもたんやわ。オッチャンは酔っているせいもあって見事、一発で倒れたじゃんか、さすが空手冗段の腕前である。
 倒れたオッチャンは、さぁ殺せ!! はよ殺さんかい、オレはおまえの敵やど、と言ってくるから、おれっちはイヤになった。
 そしてオッチャンをなだめてやるのでした。

  *北海道、初めての民泊

 七月二十五日、早朝、列車は稚内に到着。あのオッチャンのため列車の中では寝られなかったので、稚内駅の待合室で二時間ばかり寝る事にした。
 稚内駅には、“日本最北端の駅”とい看板がかけてある。二人は九時十分発のバスでノシャップ岬へ行く。
 ノシャップ岬には米国軍隊の基地があり白いドームや、レーダがすぐ目についた。
 そしてノシャップ岬の突端にはアザラシが飼ってあった。
 右には日本最北端の地、容谷岬が見え、遠くサハリン(カラフト)も見る事も出来る。
 そして二人は稚内公園へと足を向けるのである。
 ここからの景色は良かった。
 そして氷雪の門という、樺太に渡って帰らぬ多くの亡くなった同胞の霊を慰めるためという記念碑があるのョ。
 まあ君もここへ来る時はアベックで来んしゃると良いわ。
 稚内から船で礼文へ行く三時間ぐらいである。
 最果ての島礼文には思い出はあまりないわ。ガスと霧ばかりであったから……。
 礼文では民宿に泊まる事にした。さすがY・Hよりはぜいたくである。
 食事は海で取れる物ばかりのなのじゃ、礼文島では又、マブコに会ったじゃないか。
 昨日はまだましな天気だったが、今日は朝から雨であり景色なんかも見る事ができないのじゃ。
 雨の降る中を二人のメノウ海岸まで歩くことにした。わざわざ玄関には無料のバスが来てたというのにネ。
 メノウ海岸に行った時はもう人がぎょうさん来てたもんネ。
 おれっちは探しても見つからず、しゃあないし残り少ない金でメノウ石を買ってしまった。
 桃岩という桃の型をした高さ三十メートルくらいの石に行こうとしていたが、雨、ガス、霧で何も見えず中止してしもたんやわ。
 もうヤケクソになうえ、香深(カブカ)港まで行ってしまった。船の出る時間には早すぎるので、喫茶店に入って飯を食う。
 港には「さいはての島」という曲がスピーカーから鳴りひびいている。バカでっかい音で耳がイタくなるわ。
 港ではなんと、帯広の町は良かったで、と言っていた旭川ではぐれた東京の二人にばったり出合った。今日、こっちへ来たらしい。
 十五時十分に船は港を出て行くのである。別れるまぎわになって東京の二人に、「京都に来たら、河原町三条辺りで戸川万吉親分ってどの辺にいるって聞けば、すぐわかる」と言ってサヨナラをした。
 船が稚内に着けば、すぐ国鉄稚内駅へ行く。
 今夜は夜行で札幌まで行くのであるが、二十時四十五分列車発車までは、まだ二時間程あったので、二人は駅に荷物を置いて、又稚内公園まで行くことにした。
 そして倉田はペットを吹き、おれっちはスケッチと、おきまりの行動をするんであった。
 しかし、風が強くまるで台風が来たみたいであった。
 何とか時間をつぶして、駅にもどってみると、なんと駅は人だらけであふれちゃってるもん、びっくらこいたわ。しかし荷物を置いておいたので列の真ん中より前の方にならべた。
 前から二、三百番目くらいかな? まぁ、ざっと見積もっても千人はいるであろう。
 やがて列車が来て、改札が始まれば、メチャクチャな押しあいである。駅員が出て来て整理をするが、どうにもならんのである。なにしろ後から押してくるのでこっちも前を押さなければならない。
 立て看板や、灰皿は倒れるし、なにしろもうメチャクチャである。どうにかこうにか列車には乗れた。
 ノドがかわいたので飲み物を買いに行こうと思うが通路は人でいっぱいで、しゃぁないから窓から出る事にした。
 おれっちの隣りは、京都から来たという女の子が坐わっている。
 いろいろと話しをしていたが、途中から乗ってきた、新潟県の野郎と仲良くなりやがり、おれっちは寝ることにした。
 しかし寝られず、倉田はアイマスクをして寝ている。
 おれっちはしゃあないので、イスの下のゆかに新聞をひいて寝る事にした。
 そやけど、ゆかとイスの間は四十センチくらいしかないので、最初は寝ずらかったが、いざ寝てしまえば楽なものである。
 札幌駅が近づくと、車内マイクがうるさく鳴りひびく。おれっちは目がさめ、あんがい暖かいと思ったら、ヒーターがいれてあるのである。
 札幌駅には朝の五時頃着いた。
 二人は駅を出て街を歩くが、シーンとしている。しかたないので駅にもどり時間をつぶす。
 十時頃、荷物を駅に預けて市内を見物しに行く。
 最初に気づいた事は、思ってたよりも札幌の街は大きかった事である。
 京都の街よりも大きいであろう。
 さすが北海道でただ一つの百万都市だけの事はある。
 もう一つは、来年の冬季オリンピックがあるため、市内には、あちこちに地下鉄の工事が行われていた。
 二人は旅のつかれをとるため、パチンコ屋に入る。そして喫茶店に入る。
 ここではアルバイトの人と仲良しになり昼飯し代をおごってもらう。二人は喫茶店を出て大通り公園に行って昼寝をする。
 ほんまにひさしぶりの快晴である。寝ていても汗がしたたり落ちてくる。
 四時間程寝てしまった。
 今日は倉田の友達の家で泊めてもらう事になっている。友達といっても同じ学校のクラブの先輩らしい。
 おれっちはどうも他人の家に行って食事やらするのが嫌いなんだなあ。
 さぁ困ったど、その先輩が迎えに来たのである。なんとかして一緒に行かんでもよい手はないものかと考えたが、結局はおれっちにも北海道に友がいる、という事にしておいて、倉田とその先輩に別れを言ってサヨナラである。
 しかし、一人になっても別に行くアテもないし暇なもんである。
 しかし、これこそおれっちが一番望む旅の姿なのである。
 今日は一晩中、札幌市内を歩き廻ったのダ。
 そやけど寝るのに困ったもんじゃ。昼間、あんなに暖かかったのに、夜になれば急に寒くなってきたもんネ。
 しゃあないしアパートを探し、そこの廊下に寝るのである。時に午前一時半であった。
 朝は寒いせいもあって六時前に目が覚める。

 そして倉田の先輩の家に電話をかけて倉田を呼び出して又、市内見物である。
 今日は産業コースの観光バスに乗ろうと思ったが、あいにく満席のため別のコースに移す事にした。
 最初に行ったのは北海道大学である。大学の中はアホみたいに広々としているんやね。もうぴゃきゃり(びっくり)してもうたわ。
 待望のポプラ並木は通らなかった。そして道庁の前を通り市内からはずれて羊が丘牧場に行ってこましたんやわ。
 この牧場も広いんではあろうが、もうすっかり北海道の広さには慣れてしまし、それほどひっくり(びっくり)もせんかったな。もうちょっとやそっとでは、おれっちはびっくりせいへんで。
 まあ特別べっぴんな女の子が現れたらびっくりすると思うけどナ……。
 次に藻岩山(もいわやま)に行く。
 ここからは札幌市内が見下ろせ、おれっちが行った時は七色の虹が空に見えておった。そしてバスは、札幌駅にもどって行くのである。
 今日は、おれっちも倉田の先輩の家に泊まる事になった。そこの家の人はみんな良い人達であったので、おれっちも、くつろげました。

 七月二十九日、今日は倉田とも別行動を取る事にした。
 午前八時過ぎ、先輩の家の人にお礼を言って出発である。
 倉田は旭川へ、おれっちは小樽へと別れて行くのでありました。そしてなんなく一日を過ごし札幌で又、倉田と再会である。そして夜行で函館まで行く。列車の中では二人共、よく寝たらしい。

 今日は快晴である。ほんまにバカにした天候である。
 旅の初めと終りが晴れて、あとは雨とくもり(雨が多かった)だなんてネ。
 エッ君ちがうか。
 おまけに気候は二十五年ぶりの寒さとくらぁ。
 この戸川万吉様、北海道の嫌われものかな?
 まぁ、とにかく二人は連絡船に乗って青森まで行ったのである。
 青森駅で一時間程、列車を待つ。
 腹がへったんであるが持ち金五十二円しかなく、水でがまんする。
 やがて大阪行き直通急行列車日本海廻わり“北国”の発車である。
 時に午前十一時五十一分。途中秋田県を列車が走っている時、あの自衛隊機と全日空旅客機の空中衝突事故の音も聞きました。
 新潟あたりで、まことに美しい日没も見られました。
 しかし、あの日没は見事やったね。
 あんなの生まれて初めて見たもんネ。
 だが京都までの十九時間の列車の旅は寝られなかった。暑い暑いのである。
 おかしな事にみんな暑がってるのに窓を開けないもんネ。どうなってるんやろ。
 列車が京都に近づくにつれてなんとなく不安になってくる。なんとなしに。
 しかしいざ京都に着いてみると、そんな不安もどこへやらとふっ飛んでしまう。
 そして京都に着くと、今までの北海道の旅は、みんな夢にちがいないと思うのである。
 それは昨日、京都駅を出発したように思うからである。
 しかし京都は暑かった。……これを持ちまして僕の旅行記を終わります。

  *サイナラです

 なお、旅に関して(日本中)の資料、アドバイス、コースの教えてほしい人は、万吉様に連絡して下さい。タダで教えます。


昨日(きのう)、そこに花が咲いていた。
今日、そこには花はもうなかった。

昨日、君は家を出て行った。
今日はもういない。