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毎日新聞 2017年4月18日 地方版
1952年4月に起きた「鳥取大火」から17日で65年となり、
鳥取消防署は同日火災予防を訴えるパレードを開き、
火の取り扱いに注意を呼び掛けた。
街が炎に飲み込まれていった当時の様子を記憶する市民からは
「二度とあんな惨事は起きてほしくない」と声が上がった。
県消防防災課によると、1952年4月17日午後2時55分ごろ、
鳥取市吉方の温泉場付近から出火。
フェーン現象による強風で火は勢いを増し、旧市街地の3分の2が焼けた。
火災は翌18日午前3時ごろまで収まらず、死者3人、重軽傷者3,965人に上った。
強い南風の影響で火は若桜街道以西の市街地に瞬く間に広がり、住宅6,786棟が焼けた。
家屋被害は5,000戸以上に上った。

当時の様子を語る吉村多恵子さん=鳥取市で、園部仁史撮影

同市立川町5の吉村多恵子さん(81)は16歳の時に大火を経験した。
出火場所近くの服飾関係の学校で火災を知り、授業も中止に。
外に出ると、近くの住民らが必死になって家から家財道具などを運び出し、
リヤカーに乗せ避難していたという。
吉村さんの当時の自宅は被災を免れ、けがもせずに済んだが、
「若桜街道周辺は一面焼け野原になった。火事の恐ろしさを知った」と振り返った。
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